お久しぶりです。からなしです。
表題の件ですが、個人ブログを開設したのでそちらへ移行することにしました。
もしよければご覧になってください

昨年、転職をして気づいたこと。
それは周りの同僚全員が当たり前のようにAIに課金していた事。
「ちゃっと、じーぴーてぃ…ってなんですかそれ?」
完全にネットリテラシーのない人の発言をしてしまった自分ですが、同僚に話を聞いてみると、どうやらかなり便利らしく世の中的には「もはや使うかどうか」ではなく、「どう使うか」の段階にきているとのこと。
そして、自分も2025年の10月頃から課金をし始めて、4ヶ月ほど経ちました。
私は「Chat GPT Plus」というプランに加入しています。

「便利そうだけど、どんな使い方をしているの?」
「本当に思考が楽になっているの?」
という問いに対して、使い始めて自分が感じたことや考えたことなどを書いていければと思います。

AIを使い始めた頃、正直なところ、かなりワクワクしていました。
「これで考える時間が短縮できる」「自分より賢い相棒ができた」
そんな期待を、多くの人と同じように抱いていたと思います。
けれどしばらく使い続けてると、少し印象が違いました。
AIあるあるですが、けっこう意図した答えと違うものが返ってくることが多い。
だから便利なはずなのに、気づけば「どう聞けばいいか」ばかり考えている。
「プロンプトを工夫する」ことが、本来の目的より前に出てしまってしまう感覚…
いわゆるプロンプト疲れというものです。
ここで「AIは万能な思考代行ではない」
というより「人間が毎回きれいに言語化する前提そのものが、非効率なのではないか」と感じるようになりました。
この前提を置かずに、使い続けてしまうと自分の考えをまとめる前に、どうしても「疲れる使い方」になってしまう。
これは先日話をした「人が道具に従う設計」にも通じます。

AIは万能な思考代行ではない。しかし人間が、思考を丁寧に言語化をする必要もない。
では、どう扱えば楽になるのか。
試行錯誤を重ねた末に、わたしは一つの結論を持ちました。
それは「関係性を構築をして、自分に合わせて個別最適化する」という使い方。
最初から自分の思考特性が明確だった訳ではありません。むしろ、その逆で理解できていなかったからこそ、AIの使い方に迷っていました。
そこでやったのは、AIとの壁打ちの中でひたすら考えを投げ続けること。
・結論が出ていない思考
・言語化が雑な感覚
・途中で矛盾している意見
そういったものを、整えずにそのまま投げる。
すると不思議なことに、AIに自分の考え方を説明している過程そのものが、自己整理に繋がっていきました。
この時、AIには答えを求めていませんでした。
やっていたのは、むしろ自分は何に引っ掛かっているのか、どこで思考が止まりやすいのか、何を雑に扱うとストレスが溜まるか…
そういった癖を、AIに理解してもらう作業でした。
結果として、得意な思考領域や苦手な作業工程、人に任せたくない判断軸が自然と浮かび上がってくる。
自己分析を「一人で内省する」よりも他者に説明する形で外に出した方が、整理が早かったと言う感覚です。
この使い方が成り立った理由の一つは、AIが過去のやり取りとの整合性を、ある程度自動で保とうとする点にあります。
思考が揺れたり、言い方が変わったりしても、「この人は何を大事にしているのか」と言う軸を前提に話を返してくれる。
また、少なくとも私が使っている限りでは、AIは結論や判断基準を押し付けてくることがありませんでした。あくまで、自分の判断軸に思考を合わせた形で整理を手伝ってくれる。だからこそ「自分を理解してもらう」という使い方と相性が良かったのだと思います。
こうして見えてきたのは、自分が苦手なのは「考えること」ではなく、考えを整える工程そのものだという点でした。
・文章の整形
・比較・網羅・整理
この辺りはAIに任せる。
一方で
・何を考えるか
・どこで判断するか
・その結果をどう引き受けるか
この部分は、常に自分が持つ。
この役割分担がはっきりしたことで、AIは一気に使いやすくなりました。
AIは非常に優秀ですが、「何をよしとするか」を決める主体にはなり得ません。
だからこそ、思想・判断・責任は人間側が握り続ける必要があります。
AIに委ねるのは、あくまで処理と補助。この線を超えない限り、依存や疲労は起きにくいと感じています。
従って、自分にとってAIは「拡張人格および外部OS」と捉えるようになりました。これはAIを人格として扱う、という意味ではありません。
・思考を補助する
・処理能力を拡張する
・自分の内側にはない計算資源を提供する
しかし、最終的な意思決定は、常に自分が行う。
AIは思考代行ではなく、思考を成立させるための外部器官に近い存在です。
この使い方は再現性がないこと自体が本質。だから、この使い方は人にそのまま真似できません。

スタンフォード大学のSESI(Stanford Energy Systems Innovation)プロジェクトは、中央エネルギー施設の運用最適化を目的とした大規模プロジェクトです。$485M(日本円換算にして約680億円)
特徴的なのは、AIを単体で意思決定させるのではなく、化学工学モデルの一部として組み込んでいる点にあります。
AIはSentral Energy Plant Optimization Model(CEPOM)と名付けられていますが、そのアルゴリズムはキャンパス需要、気象パターン、電力価格、利用可能な設備など多くの要因を考慮し、10日先を約15分毎に最適化します。(長期の計画+短期の調整)
このCEPOM(SESI)では運用効率を最大化するために「自動決定+人間の監視」という設計が採られています。
どこまでをAIに任せ、どこからが人間が担うかは、技術的な問題ではなく、最初に決めるべき思想設計の問題です。
その判断は少なくとも、以下の要素によって変わるはずです。
・扱うシステムの規模
・法規制や責任範囲
・契約上の制約
・運転・運用の成熟度
これらが違えば、「正しいAIの組み込み方」も変わる。
先の例は「自動決定+人間の監視」と言う運用形態が採られていましたが、例えば「AIを予測・モデル化に限定し、最終意思決定は常に人間が行う」という設計も、十分に合理的です。
むしろ、高リスク領域や責任の所在が重い分野ではこちらの方が適切な場合も多い。
私が日常的に行なっているAIの使い方も、この考え方に近いものです。
CEPOMが社会インフラで行なっていることを私は個人スケールで行なっています。
ここまで、私自身のAIの使い方や、SESIプロジェクトにみる設計思想に触れてきました。しかし、この話題に触れる以上、AIの危うさと倫理の問題を避けることはできません。
むしろ、「AIを道具として正しく扱おう」とするなら、ここを曖昧にしたまま進むほうが不誠実です。


2021年にエリザベス女王に対するクロスボウを用いた暗殺未遂事件が起きました。
この事件では、実行犯がAIとの対話を通して、思想を強化・正当化していたという点が、大きな問題として取り上げられました。
ここで重要なのは、AIが「命令した」訳ではないということ。
AIは、その人物の思考に寄り添い、整合性をとり、強化していただけに過ぎない。
しかし、それが結果として歪んだ確信を深める装置として機能してしまった事例です。

・刺激の強い情報
・感情を揺さぶる投稿
・極端な主張
こうしたものほど拡散され、結果として分断や過激化が進む。
AIもまた、使い方次第では「思想を強化する装置」になり得る。
つまり、AIそのものが危険なのではなく、出口が設計されていない状態が危険なのだと思います。
最初にどんな思想を入れるかによって出力されるものの方向性が大きく変わるということなのですが、これは便利さであると同時に明確なリスクでもあります。
最終的に何をAIに任せ、どこで人間が判断を引き受けるのか。どんな使い方を「しない」と決めるのか。
これを最初に設計しておかないと、AIは便利な道具にも危険な増幅器にもなりうる。
私自身のAIの使い方では、出口は明確に一つです。
「最終意思決定は、常に自分が行う」
・AIをどう使うかに正解はない
・ただし、思想なき運用は危険
・概念を持ち、出口を設計し、責任を手放さない
AIは思考を奪う存在ではなく、思考を成立させるための外部器官として捉えています。そして、今後もそう在り続けたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

これまでにApple Watchはシリーズ3、シリーズ6と5年間にわたり使用してきました。
機能は十分すぎるほどあり、Suicaや通知、体調管理、全部できます。
ただ、便利なのに常にバッテリーを気にしていました。
そして外観やUIなど含め、主張が強いと感じる瞬間もありました。
特にApple Watch6のバッテリーが明確に劣化してきたのが大きかったです。1日持たず、使用前に充電を気にする必要がある状態。バッテリー劣化度を確認すると新品時の75%まで低下していることが分かりました。
修理やApple Watch SE3への買い替えも選択肢にありましたが、ここで一度「本当に必要な役割」を整理することにしました。

主にApple Watchで使っていた機能はこれだけ
・朝のアラーム
・通知の確認
・時間をみる
それ以外は「できるけど、頻度が多くない or スマホで済む」機能でした。
そこでXiaomi Bandを選んだ理由に繋がってくるのですが大きく5つ
・軽い
・つけているのを忘れる
・充電を気にしなくていい
・UIや見た目が主張しない
・値段が安い(6,000円ほど)
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自分は機械設計の仕事をしているので殊更に感じるのですが、Xiaomi Bandの設計思想は一言でいうと「足りないけど閉じている。この設計はかなり誠実」だと思いました。

スペック的な話は割愛しますが、Apple Watchは確かに凄いです。
センサーもUIもエコシステムもトップクラス。
でも、その分「できること」が先立って「何をする人向け」かが曖昧であり、結果として多くの人が機能の”半分も使っていない”
ここが設計としては弱いと感じる部分。
Apple製品って本来は「制限することで美を作る」会社だったはずなのにApple Watchだけは珍しく足し算だけで押し切っているガジェットだなと感じました。
Appleらしさって本来は「制限する勇気」と「一本化」であり
・具体的には、ポートを減らす、ボタンを減らす、選択肢を減らす…etc
・その代わりに体験を研ぎ澄ます。
これをずっとやってきた会社なのに、Apple Watchだけは例外的に”全部入り路線”を降りない。
しかも問題なのが、路線が中途半端でスマホの代替にもならない、でも時計としては主張が強すぎる、それでいて「これ一個で完結」もしない。
結果として、ユーザー側が使い方を設計し続ける道具になっている。
これはAppleが一番嫌っていたはずの思想なので少し不思議です。
Apple Watchの思想は「できることを増やして、生活を拡張する」に基づいており、これはテクノロジーとしては正しいし完成度も高いです。
でも同時に人の生活を”管理対象”にする思想だと思います。

一方でXiaomi Bandは
「生活を邪魔しない範囲で、必要なことだけ支える」を最初から最後まで崩していません。
・充電を気にしなくていい
・使わなくても罪悪感がない
・失敗してもダメージが小さい
・道具が人の注意力を奪わない
これは道具が人に従っている設計になります。
・電子マネーや返信機能などがなく、最初から役割が制限されているため値段や体験が過剰じゃなく、使い切れる前提で設計されている。
これは工業製品としてかなり誠実だと思います。
主張しない、期待を裏切らない、役割を超えないと言うのは長く使うほど強いです。
真に美しいのは、必要な機能を最小限のコストで使えること。この定義に当てはめると
・Apple Watchは”すごいけど美しくない”
・Xiaomi Bandは”地味だけど美しい”
という位置付けになります。

Apple Watchはどうしても、「人が道具に合わせる瞬間」を作る。それが楽しい人もいるし、生活を拡張したいフェーズでは最高だと思います。
・Appleは体験を積み上げるのが上手
・Xiaomiは体験を削ぎ落とすのが上手
どちらが上ではなく、今の自分には後者が合っていました。

軽さは正義、動作はさらさら、液晶が思ったより綺麗で明るい、主張しないのがちょうどいい、縁のアルミの削り出し処理が美しい。天気も心拍数、睡眠のヘルスログもきちんと取れるし、通知も届く。充電頻度は意識しなくていい(自分の設定だと1週間程度充電なしで持ちそう)。
ここら辺はXiaomi Bandが10になって性能向上してきたのが大きいと思います。
Apple Watch6と比べても違和感なく使えました。
何より時計としての存在感が小さく無反応でいられる感じが合って、使っていて疲れない。不便になった部分はありますが、日常生活で困ることは今のところあまりありません。
・機能面ではApple Watchが上
・設計の割り切りとしてはXiaomi Bandが明快
今の用途ではXiaomi Bandの合理的でした。

こんばんは、からなしです。
最近は激務が続いており、ブログ記事にしたいことがあまりできていませんでした。
また体調も崩してしまいました。万全ではありませんが、頑張って書いていきたいと思います。
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からなしです。たまには皆さんの有益になることを書きたいと思います。